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受傷後ある人との出会い

車椅子でテキパキと営業する車椅子業者との出会い

受傷する迄は活動的な私であった。仕事も建築系の営業で関東各地を精力的に廻っていた。しかし、車椅子を宣告されてからは、家内共々、不安な事だらけである。栃木県に入院していた時に家内は担当看護師からアドバイスを頂いたそうである。「車椅子でも全然問題無く生活出来るから大丈夫だよ。」と。勿論私には内緒だった。しかし、家内は大丈夫と言われても、想像が付かなく戸惑っていたそうである。
事実、福岡の病院へ転院した後に、ある程度落ち着きを取り戻した私で有るが、今後どの様に車椅子で生活して良いのか。まったくと言って言い程予想が付かないまま入院生活を送っていた。

その時である。一人の車椅子使用者(以下U氏)に出会った。病院に出入りしている車椅子業者の営業マンであったU氏は50代男性で自身も車椅子使用者であり、膝の上にカバンを置き、自身の車椅子を右手で操作し、患者用の車椅子を左手で操作して病院に登場して来たのである。そしてテキパキと車椅子の採寸をして颯爽と病院を後にしたのである。
その姿を見て、家内と顔を見合わせて、出た言葉が「かっこいいね。」「車椅子でも仕事出来るんだ。」でした。実に驚きであった。今まで情報が全くなかった分、U氏の姿が新鮮に見えて来たのである。以来、私達夫婦にとってU氏はあこがれになった。

U氏に私自身の最初の車椅子製作をお願いし、他に車椅子生活等色々と聞く事となった。今現在みたいに当時は情報網が発達しておらず、自分で収集、確認するのみで、それ以外の方法は無かった。私の車椅子情報収集源は、U氏が病院に来る毎週木曜日の定期訪問の時が唯一となった。

住宅改修可能な家探し

私自身の車椅子操作が落ち着き、退院の目途が付いた時である。退院準備に向けて家探しを実施しなくてはならなかった。受傷当時の家はアパートの2階であり、勿論車椅子では使用不可である。故に家探しを埼玉に先に帰っていた家内が行ってくれていた。住宅改修可能な家を見つけてくれ、実際に私が確認する事となったのである。

埼玉に居た家内が福岡の病院の私を迎えに来て、一緒に埼玉に戻って家を見て回る。終了後福岡の病院に私を送って、家内のみが埼玉へ戻る。と言う事で家内は埼玉福岡間を2往復する計画であった。その旨を作業療法士の方々に伝えると「一人で帰って来れるでしょ。」との事。しかし、私はその忠告を頑なに拒否をして計画通りに進めようとしていた。
と、ある日、その計画をリハビリスタッフから聞いたU氏が、私の方へ出向き、理由を尋ねて来た。
そこから車椅子使用者同士の話し合いである。私は不安な点を全て伝える事とした。
道中の*排泄の事 *宿泊の事 *その他移動の事等
私の心の中ではリハビリスタッフに「どうせ言っても分からない。」と言う思いがあり、言わなかった。しかしその思いを全て、そのU氏には話す事が出来た。「同じ車椅子だからわかってくれる」と言う思いで。実際に的確な回答が何倍にもなって返って来た。同時に私の知らない車椅子での注意点等。医療関係者にはわからない車椅子当事者ならではの回答を得る事が出来た。何度も何度も質問をし、都度的確な回答を返してくれ、次第に私の不安も薄れ、最後には一人行動実施に心が動く事となった。

そして、埼玉の家の見学の日。1泊2日の行程で予定通り進み、いよいよ病院への帰路へ。当日になると私自身不安がこみ上げてきていた。教えられた通りに羽田空港で事前準備を済ませ、カウンターへ。後は係員にバトンタッチして言われるがままの状態。
羽田空港で家内の見送る姿を見ると、家内も同じく不安であったに違いない。
無事に羽田空港を飛び立つも今回の行先は福岡空港では無く、病院に近い福岡県北九州空港である。1時間半のフライトを終え無事北九州空港に到着。係員に出口まで案内された。その後北九州空港からタクシーを使用し病院まで。タクシーの一人利用方法も教えられた通りに実施して病院へ到着。31歳にして「初めての車椅子での空。一人旅」が無事完了となった。

私の不安を取り除いてくれたのは車椅子使用者であるU氏でした。

今回の車椅子での行動を経て感じたのが。
確かにリハビリスタッフ側面から見ると、「車椅子での羽田空港からの一人での行動」は問題ない行動ではある。しかし、中途障害者の車椅子使用者から見ると、車椅子使用自体が初めてである事。公共交通機関を利用した事が無い事。病院外で車椅子で外出した事が無い事。要は全ての行動が初体験で不安が付きまとう事は間違いないのです。出来る事は分かっているものの、その不安を取り除いてくれたのが、車椅子使用のU氏であった。 排泄の問題・車椅子利用時の問題点等、車椅子当事者しかわからない事を赤裸々にお話頂き、不安払拭する事が出来た。
我々が知りたいのは単にその行動の結果が知りたいだけではなく。行動の準備過程、途中経過、問題点等が知りたいのである。

そのU氏のおかげで、私の目の前に立ちはだかっていた大きな壁を取り崩す事が出来、躊躇っていた目の前の一歩を大きく踏み出す事で出来た。

今の私の活動の言動力になっているのは、私を元気づけてくれた家族は勿論の事であるが、私に一歩踏み出させてくれた「U氏の様になりたい。そして同じ様な車椅子使用者に当事者として出来る限り全て伝えたい。」と言う思いで活動しています。

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