1. HOME
  2. ブログ
  3. 体験談
  4. 私達の経験した失敗住環境整備

Column

コラム

私達の経験した失敗住環境整備

車椅子生活で一番大切な住環境

中途の疾病や障害を負って、車椅子使用を余儀なくされると、生活する場の起点となる住まいは必然的に住環境整備が必要となって来ます。当初私達夫婦は2階建てアパートの2階に住んでいましたが、車椅子での生活は不可能と言う事でまずは家探しから始まります。

受傷当時、新婚2年9ヶ月の私達でしたが、やはり住まいは新しく綺麗な方が良いのは当然の事。しかし、車椅子使用者となると中々思い通りには行きません。理由の一つとして挙げられるのが家には必ず段差が生じている事。その段差を解消する為に住宅改修が必然となって来ます。

車椅子使用者の家探しでは「住宅改修了承の有無」の一点が条件

まず家内がスタートしたのは幼い2人の娘を連れ、地元不動産屋廻りからです。そして第一声が「主人が車椅子です。住宅改修出来る家を探しています。」と言って1軒1軒廻ってくれていました。日常生活をし、子供連れと言う事で中々思い通りの行動が出来ず、約1ヶ月の不動産巡りの結果。1件の家が該当しました。築30年超の2階建ての1軒家となります。

本来、家探しの順序としては、*間取り*家賃*最寄り駅の要望を不動産屋に提出後、幾つかの、物件提示を受け内覧に現地にて確認。併せて外観、周辺環境確認したのち最終決定を下す運びになるのが、通常であります。しかし我々車椅子使用者の場合はその様な訳には行きません。「住宅改修了承の有無」の一点に絞られるのです。理由としては物件数も少ない為「住宅改修承諾=契約」と殆どがその流れになります。

家内の要介助が必要であった。

次に住環境整備となります。『住宅改修=退居時現状復帰。』が常となります。私達夫婦が借りた家は1階が4畳半のキッチンと8畳のリビング。トイレに浴室、小さな庭もありました。2階は6畳の和室一室と洋室2室でした。玄関には当然の事ながら上がり框が存在しており、車椅子にとっては最大のバリアとなります。車椅子生活での日常生活を送る中で、移動手段の必需品として挙げられるのが車となります。そこで改修視点を◎車庫を優先するか◎玄関を優先するか。でした。そこで改修案として
①庭を壊して車庫とし、玄関の昇降は家内の要介助とする。
②車庫は外部に借り、玄関にスロープを作る。
家内と話し合い、屋外に駐車場を借りても十分な駐車スペースが確保出来ない事。その場合、自宅から遠方になり降雨時の問題有等を考慮した結果改修案は①としました。

玄関の昇降は家内の要介助と併せて外用車椅子と室内用車椅子の乗り換えを必要としました。浴室の入浴は勿論家内の要介助となります。
私の生活の中心は一階リビングにベットを置き、生活する事となります。

新居の一通りの住環境整備が完了して、1996年3月8日に福岡の病院を退院。そのまま埼玉の家に戻って来ました。

家内の「私が倒れたらどうするの?」SOS

受傷当時は1歳10ヶ月と6ヶ月だった2人の娘は退院当時、3歳と2歳になっているものの、まだまだ手が掛かる子供。私は年齢こそ31歳になるものの、今みたいに自由に車椅子を操る事が出来ない車椅子歴1年の大きな子供。家の中や外で手が掛かる3人の大小の子供を抱え、面倒を見ながら家内は四苦八苦。当然家内に笑顔なんてありません。誰に頼る事無く、毎日ただ、がむしゃらに動いてくれていました。福祉制度が確立する(2000年介護保険施行)前の事です。頼る制度なんてありません。
(本当に家内には頭が下がる思いでした。感謝しかありません。)

そんな家内にも変調が。ある日「私が倒れたらどうするの?」 その家内の発したSOSと言う意味合いの一言。即返答しました。「引っ越そう。」

退院後最初の住環境整備で、手探りの状態での車椅子生活をしていた。当時、仕事で夜中に私が帰宅しても、私自身一人で家の中に入れない。又、一人で外出出来ない。浴室も介助が無いと入れない。等
全てが「家内の介助ありきの家」だったのです。故に家内に大きな負担を掛けてしまった。見事な住環境整備の失敗例でした。

新たな家探しのスタートで家内の笑顔を取り戻す

それから、家内と新たな家探しがスタートしました。子供の幼稚園の通園時間。私の職場の通勤時間等加味して、様々な物件を見て回りました。
そして5件目にやっと建設中のマンションで車椅子動線・家族の生活動線等加味し、建設途中に設計変更して、1998年1月に現住まいに引っ越しました。

2度目の新居となる現住まいにて、ここで初めて車椅子になって自分自身が家の鍵が持てる様になった事で、自分で出入りが出来る様になった事。入浴が自立出来た事。等家族と暮らしている為車椅子自立生活100%近いとは行かないものの、しかし以前に比べると限りなく100%に近く自立にはなっています。そして、何よりも一番大事な事は家内に笑顔が戻って来た事と家族全員笑顔での会話が増えた事ではないでしょうか。

退院当時家内は「私があなたを介助する」と言ってくれました。凄く一生懸命私をサポートしてくれました。しかし毎日の事になって来ると流石に、身体的・精神的に限界が来ます。
その為に、人に頼らず本人自立に向けた住環境整備が必要となってくるのです。

車椅子使用者の住環境整備の目的は、『本人の自立と同時に同居する家族の精神的・身体的負担軽減』だと私は考えます。

失敗して初めて気づく住環境整備。しかし身体的・精神的・金銭的代償が大きい為に失敗は出来ません。

私達夫婦は最初の住環境整備に於いて、「無駄な時間・無駄な費用・無駄な労力」を費やしてしまったのです。

退院当時は福祉制度が確立しておらず、家庭・地域での生活は家内が一生懸命サポートしてくれたお陰で、最低限度の生活を送る事が出来ました。2000年の介護保険制度が施行されて福祉制度が徐々に確立して行く中で、住環境整備等は改善されているものの、まだまだ障害当事者の声が反映されず、教科書通り(マニュアル通り)の住環境整備が成されていく。それ故に当事者が生活に不自由されている。との声を聴く機会が多くなりました。

2006年に当事務所を立ち上げた理由が、車椅子当事者目線での住宅。そして私達夫婦の事を伝える事で、同じ様に住環境整備で失敗をして頂きたくない。と思っております。

中途障害によって自由の利かなくなった身体。せめて在宅生活だけでも自由が利く住まいでありたいものです。

車椅子建築士 栗林の体験談
受傷後ある人との出会い
受傷経緯そして病院生活

関連記事